真っ赤な愛をたずさえて
座敷童子の沙夜ちゃんのお話(過去作 他サイトから転載)
ちょっとした昔話をしよう。何処にでもいる一人の子供が、座敷童子になるまでのお話を…。
木枯らしが吹く中、着物の少女が田んぼばかりの田舎道を歩く。
「座敷童とは何者なんだ?」
ピコピコと耳を傾け、唐突に少女に話しかけてくるのは、一匹の猫。しかし、普通の猫ではない。二又に裂けた尾をもつ“猫又”という妖怪だ。
「知りたいのかえ?」
尋ねると、猫又はコクりと頷いた。
「そうじゃの、そもそも、座敷童子は悪戯好きの子供の妖怪と言われておる。座敷童子が住み着いた家には幸福が、去った家は不幸になるともいわれている妖怪でな」
猫又はゆらゆらと尻尾を揺らしながら話を聞いている。
「不服そうじゃの」
ケラケラと笑って見せた。
「私が聞きたいのは、お前さん自身のことなんだが」
猫又はそっぽを向きながら耳を傾けた。
「しょうがないのう…」
歩みを止めることなく、少女もとい座敷童子は話し始めた。
「とある家での話じゃ。それはそれは昔の話。気付けば家の一室に閉じ込められていた。何故だかそこから出てはいけない気がしたのじゃ。その部屋には私の他にも赤子や、十を数えるくらいの女児が数人おった。そして、いつもふすまの向こうから、子供の声が聞こえてのう…楽しそうに母の名を呼ぶ、子供の声が…」
目をつぶれば、懐かしい記憶が蘇る。
今と変わらぬ感情と共に…。
***********
その部屋の中でも、古参なのだろう。一人の少女は私に色々なことを教えてくれた。
文字の読み書き、数の数え方。様々なことを学んだ。
とある日、少女に“一緒にここから出ない?”と誘われた。
しかし、なぜだか私はここに残ると答えた。何もないこの部屋に。
次の日による、少女はどこからか持ってきた着物を着て去っていった。
鮮やかな赤色と、どこか寂しさをたずさえて…。
幾年か経ち、気付けば子供は一人、また一人と姿を消していた。
今ではもう、部屋にいるのは私一人。
ある日、何を思ったのか、私は少しふすまを開けてしまった。覗くと、そこでは十を数えた位の男の子が、楽しそうに遊んでいた。傍らには母親の姿が見える。その表情はとても温かく、優しいものだった。
「お母さん」
とっさに声が出てしまった。本当は気づいてほしかったのだ。
「私もいるよ」と。
声が聞こえたのか分からない。けれど、親子の視線は確かにこちらへ向いていた。しかし、視線は冷たく、恐怖の色が滲んでいた。そして、近づいてきた母親は、数センチ開いたふすまをそっと閉めた。
存在を否定された…。それは受け止められない現実だった。
その夜、泣きじゃくっていた私の耳に入ってきたのは、何かを唱える両親の声、その声が止み、足音が遠ざかって無音になったころ、私はそっとふすまを開けた。
そこには真っ赤な着物が置いてあった。いつしかみた赤色…。
ふすまの前に置かれた、供物の数々。そして、気付いてしまった。
「嗚呼、私はもう生きてはいないんだ…」
***********
その言葉に、猫又はシュンと小さくなった。ばつが悪そうにこちらを見ると、「すまない」と一言謝ってきた。
「よいよい、まあなんじゃ、ここまで聞いたなら、最後まで聞いてくれんかの?」
少し、話をしたい気分なのだと座敷童子は答えた。
「…その時、思い出してしまったのじゃ。生前の記憶を」
そしてまた座敷童子は、ぽつりぽつりと語りだす。
思い出してしまったのだ。生前何があったのかを。数少ない生前の記憶が脳内を駆け巡った。
「悟ったのだ。今までの供物も、あの念仏もすべて
愛から来るものではない、恐れから来るものなのだと。
“私は、口減らしのために間引かれ、この部屋に埋められた”
あの子供たちも同じく埋められた、私の姉妹だったのだと
女児は要らない。だから間引かれた。産んでは何度も後悔し育て、後々殺しては埋めた。自分勝手な行い。
だから、あれはただの懺悔なのだと…」
「憎んでいるのか…?」
いや、憎まないはずがないだろう…そう付け足す猫又に、ふふと小さく笑った。
「憎んださ、でものう、それ以上に
私は愛していたのだよ」
そう、込み上げてきた感情。それは憎しみだけじゃなくて、一方通行の愛情で。
どうしようもないくらい溢れる感情は、身を引き裂くようだった。
確かなのは、絶命(さいご)の時まで、私は親を愛していたということ。
時が流れても、感情は薄れることを知らない。
私はまだ、その家にいた。
世代が変われど、子供を羨んでは日々を過ごした。せめて、愛したこの家を不幸にしないように。少しでも力になれるように。
災いが降りかかればそれを祓い、病気にかかれば、隠れて薬草を届けた。
いつしか時を忘れていくほどに。
「とある日、親子の会話を聞いてしまってのう」
「会話?」
いつしか月が昇り始めた頃、一人と一匹は大きな木下で休憩を取りながら、話を続けていた。
そう、あの日もこう、月が綺麗な夜だった。
***********
子供は親に尋ねた。
「あの部屋には誰がいるの?」
無邪気な質問だ。私はそっと目を閉じ、答えを待った。
母は答えた。
「あの部屋には誰もいないのよ」
その答えは、とても残酷だった。
言葉は心を裂いた。溢れ出す感情は、まるで血のようだ。
嗚呼、こんなにも苦しい、こんなにも悲しい…!
それは、何よりも生きている証だと思えた。だから叫んだのだ
「嘘!私はまだここにいる!ここで生きてる、気付いてよ ねえ!お母さん‼」
泣き叫んだ声に反響して返ってきたのは
「もうどこかへ行って…ッ‼」
母の悲痛な叫び声だった。そして、
“一緒にここから出ない?”
次に浮かんだのは、昔言われた言葉。
そうだ、どこかへ行かなくちゃ…。
それが最後に望まれたことなら、行かなければいけないんだ…
***********
「もう、ここには居てはいけない…。
そう思ったのじゃ。だから、供え物の着物を手に取って家を出た。」
“血のような真っ赤な着物。私の生きていた証。
せめてこれだけは、持って行かせてはくれないか…”
そう話し終えると、座敷童子は真っ赤な着物の裾を直した。
「ずっと、それを着ているのか?」
「ああ、唯一の贈り物だからのう」
そう言って笑う座敷童子は寂しげで、いたたまれない気持ちになった。
「成仏は、できなかったのか…」
その言葉に、座敷童子は口元を隠しケラケラと笑った。
「確かにそうじゃの、今でも不思議に思うよ。
でも、愛情は尽きることを知らなかった。それどころか増す一歩での。おかしいじゃろ?神頼みをしたくらいじゃ。でものう、とあるお方が私に問うたのじゃ
“本当にそれでいいのか?”と…」
**************
小さな神社に着いた時、私は神頼みをした。
“どうか、この愛が尽きますように”と…
死んだ人間が神頼みなど、馬鹿らしいと思った。
私は一生、このまま彷徨い続けるのだと、そう思っていた。
その時、鈴の音と共に声が聞こえた。
「本当にそれでいいのか?」
ハッと顔を上げると、さい銭箱の向こう側に、狐面の長い黒髪の男が立っていた。
*************
「いかにも怪しげな…」
猫又がそういうと、確かにと笑った。
「私もそう思ったのじゃ。誰かと尋ねると面白い返答が返ってきてのう。
“狐の使いとでも言っておこうか”と言ってきたのじゃ。
世間知らずの私でも不審に思ったもんじゃ。
でものう、その方の言葉が刺さるように耳に届いたのだ」
***********
黙りこくっていた私に男は尋ねた。
「いいの?」
良いのだこれで
「本当に?」
そう望まれたのだから…
「嘘つき」
男の言葉にドキリと心臓がはねた。
「本当はそう思いたいだけだろう?」
心臓の音がうるさい。血液が体中を巡る。
そう、失望していたのだ。愛というものに。
けれど、それでも愛していたいのだ…。
何より怖かったのは“生きていない”のではない
“生きてはいけなかったのだと”言われることだった。
気付いてしまった時にはもう遅く、枯れてしまっていたはずの涙が頬を伝った。
しばらく泣いていた私は、泣きはらした目をこすった。
「落ち着いたかい?」
ずっとそばに居てくれたのか。男はさい銭箱の隣に座っていた。
男は、私の頭を撫でてくれた。とても温かな手で。
この人は生きた人間なのか…
手のぬくもりで察してしまった。そして急に寂しく思った。
結局私は一人なのかと。
「それより、あなたは何者なんだ?どうして私が見える」
もう死んでいるのに。そう付け足した。
*************
「なんて返ってきたんだ?」
猫又は興味津々に聞いてきた。
座敷童子は、ため息交じりに答えた。
「本人の事など教えてはくれなかったさ…
でも面白いことを言ってきた。
“君はまだ、生きているだろう?”とな。」
男は言ったのだ。
「君はよく頑張った。長い時間を費やし、愛を注いだ。だからもういい…」
「私はもう消えるのか?」
そう思わせる言葉に心臓がドクドクと脈を打つ。
「人間にとっては、そうだったのかもしれないね」
「ここで私は殺されるのか?」
今度は本当に…この魂さえも
その答えに男はクスリと笑った。
「何を言っているんだ。君はまだ、ここで生きているだろう?
生きていたいんだろう?なら、あちら側に行けばいい」
あちら側?何を言って…
さあ、おいでと言って、男は神舎の鳥居に向かって私の手を引いた。
くぐるとそこには大きな平屋があった。どこか懐かしい故郷に帰ってきたような、そんな安心感のある場所だった。
「君はもう、とっくに座敷童子として
生きていたのだから…」
その言葉に心は満たされていった。
**********
「長くなったのう」
再び歩き出した座敷童子が、一言そう謝った。
猫又は「いいんだ」と言いながら、その後に続く。
「今では立派な座敷童子よ。
さて、着いたよ」
たどり着いた先は神社の鳥居の前。
一見するとただの神社だ。
「ここは?」
「あやかしの世界の入り口じゃ。さて、いこうかの」
そう言って鳥居をくぐると、始めてくる懐かしい世界が広がる。
「ここが君の言っていた…」
「…沙夜と呼んでくれてかまわん。そう、ここが私の。そして花殿の居場所じゃよ」
猫又もとい花は、広がる景色に見とれていた。裂けた尾を揺らしながら。
容姿が変われど、時代が変われど
どんな姿になろうとも、懸命に生きていた。それ尾は生きた証。
そんな姿に自分を重ねてみていたのかもしれない。
“そう、とっくに人ではなかったのだ。
それでも生きていたいと願えたならここに居ればいい”
たとえ生から離れた存在だったとしても
どんな姿になろうとも、私たちは
どうしようもなく
“生きている”
だから、あの方から言われた言葉。今度はあなたに届けよう。
「歓迎しよう。
ようこそ、あやかしの世界へ」
終